森に吹く風


序章


 街にいても、森の生活に恋い焦がれる人っていますな。幸か不幸かアウトドアー生活の喜びを知ってしまった人。しかし日々の暮らしは単調に流れていき「今年こそはキャンプに行くぞ!」と張り切っていたはずなのにすでに幾年月か。なにしろくたびれちゃって、週末は寝ておかないと体力も保たないし。しかししかし、心の中には光り輝く固い鉱石のようなものがまだあるぜ、というあなた。ここはそんな自由の旗の下に生きる偉大なナチュラリスツのためのコーナーなのだ。







 紅顔無恥な学生だった頃、遠方の友から手紙が来たことがあった。「社会人になったはいいが、どうも汚い大人の世界が見えてきた。お前と一緒に登った山が懐かしい。焚き火を囲んだ森の夜が懐かしい。ああ、俺は

森病にかかったようだ」

 これは僕よりも一歩早く社会に飛び出した友からの、切実な思いを綴った手紙であった。森病とは彼が命名した病気なのである。こいつにかかるとなかなかやっかいだ。気が向いたときにひょいと森に行って一泊でもしてくればいいのだが、それが出来ないからかかっちまう。
 日々を懸命に生きているがために、時折心がしおれそうになる。酒を飲んでも治らない。ふと、俺を呼ぶ声が聞こえる。どこからか判然とせぬ。しかし確かに呼ばれている。じっと探ってみると、どうやら記憶の底に眠る山や森からの声のようだ・・・。
 これは古今東西のナチュラリスツ共通の悩みらしく、いくつか解決法を教えてくれる。例えばアーネスト・ヘミングウェイ。『身を横たえて』には、戦場で眠れない兵士が暇つぶしのためにと、少年の頃に慣れ親しんだ流れを思い浮かべて、記憶の中で丹念に釣りをする様子が描かれている。それは徹底していて、丸太の下、曲がり目、淵、浅瀬の一つ一つを入念に再現していくのだ。そして昼にはきちんと昼飯のために休憩もする。「ときにはうまく鱒を釣りあげ、ときには釣りそこねた」。前線の兵士が緊張のために不眠症になり、夜な夜な記憶の旅に出るのである。

 この方法を応用したものが

カラ計画を立てる

という治療法だ。例えば山梨県のある森へキャンプに行くことにする。参加人数は五人。車を二台出そう。自分の持ち出し装備は大型テント1張り、タープ1張り、ツーバーナーストーブ、ランタン、あとは個人の持ち物だ。ナイフを研いでおかないとな。ホワイトガソリンも買ってこよう。ランタンのマントルは壊れてないかな。登山もしたいからザンバランを持っていこう。麓ではフリスビーも出来るんだった。それから食事のメニューはと・・・。
 これはカラ計画である。完全に想像するだけで、いつか行くときのための準備ではないのだ。「何をバカな」と思われるかも知らんが、人間は所詮イマジネーションで生きている動物であるからして、さっきのヘミングウェイの小説のようなことがあるわけだ。決してバカみたいではないのだから、真剣にやってみよう。

 参考資料
 新潮文庫『ヘミングウェイ短編集(2)』訳 大久保康雄


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